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リレー・エッセイ

  • 日本のエル・ドラド気仙・・・気仙の金山 未来かなえ機構 理事 伊藤 達朗
    • 日本のエル・ドラド気仙・・・気仙の金山 未来かなえ機構 理事 伊藤 達朗

       気仙地域では約1300年前から金の採掘が行われ、「産金遺跡」は、確認されているだけで130ヶ所以上、昭和25年鉱区申請では今出山、盛富、玉山、雪沢等29の金山あり、つい最近まで稼動していた「産金遺跡」も存在する。また、1970年代に住田町内の国道沿いの気仙川から、日本で三番目に大きい重さ22.3gのインゲン豆大の砂金が発見されている。ゆえに気仙地域は黄金郷と言っても過言ではないのである。

       さて、奈良時代、聖武天皇は天然痘、大地震、旱魃・飢饉、反乱により国土が乱れたために鎮護国家のもとに膨大な国費をつぎ込んで東大寺の大仏造立を行った。天平21年(749)の早春、大仏本体の鋳造のめどはついたが、鍍金用の金は足りず、大量の金を必要としていた。当時、金は日本国内で産出しないとされ、すべて国外からの輸入に頼っていた。ところが2月、陸奥守百済王敬福(むつのかみくだらのこにきしきょうふく)が、小田郡(現宮城県遠田郡涌谷町)で黄金を発見したことを報告したのである。(続日本紀)この時のことを当時越中守であった大伴家持は「すめろきの御代栄えむと 東なる みちのく山に 金花さく」【須賣呂伎能 御代佐可延牟等 阿頭麻奈流 美知<乃>久夜麻尓 金花佐久】(万葉集 巻18 4097 大伴家持)と歌った。しかし、百済王敬福が献上した金は九百両(約13kg)で必要量60kgに到底及ばないために天平勝宝4年(752)、多賀城以北の諸郡に黄金貢輪令を発した。この出来事については、藩政時代御金山下代を勤めた松坂家の文書「気仙郡竹駒村玉山金山来歴綴」の中に、「気仙郡竹駒村之内玉山金山と申は天平年中黄金初而掘出(中略)貢物奉捧候由」と記されおり、百済王敬福の献上した黄金九百両の中に、玉山産出の金も含まれていた可能性がある。

       また、時が下り天治元年(1124年)、藤原清衡は金色堂を建立するが、それに要した黄金についても、松坂家文書には、「玉山並に同郡浜田村茂倉御金山より大分の黄金掘り出、その黄金を以て光堂も御建立」 と記されている。ここからも玉山金山や茂倉金山の金が、金色堂の建立に大いに貢献したことが分かる。しかし、この文書は江戸時代にかかれたものであるので真偽のほどは明らかでなない。

       明治37年には政府は日露戦争の戦費の調達のために、帝国工科大学学長の渡辺渡博士が大蔵省の依頼をうけ、玉山金山をはじめ気仙地方の主要な金山の金鉱を調べ、40余億円余りの埋蔵金があると発表した。そして、当時の日銀副総裁・高橋是清がそれを担保に欧米から8億円(現在の価値で、推定約3兆円)の借り入れをしたともいわれている。また同時に「大蔵省所属金鉱区域」に指定された。

       気仙の金山は明治時代にはすでに産出量は減少しており、昭和の時代まで細々と続いた。現在、「産金遺跡」として整備され、見学できる施設や砂金採り体験ができるところが数か所あるだけであるが、気仙には黄金郷であった時代が確かにあったのである。

       気仙の美しい山や川を見るたびにどこかに黄金郷の扉が開いているのではないかと思ってしまう。

      次回のバトンは伏木崇人さんにお渡しします。

  • 介護力強化事業と東南アジア 森川美絵
    • 介護力強化事業と東南アジア 森川美絵

      介護力強化事業と東南アジア。何のことかと思われるだろう。介護力強化事業は、未来かなえ機構がとりくむ事業だが、機構は国際交流事業も手がけていたかしら?いえ、そうではありません。

      話は、昨年末にJICAが東京で開催した研修にさかのぼる。研修は、アジアで急速に進む高齢化への対策をどうたてるか、特に高齢者ケアを中心に検討する内容である。参加者は、タイ、インドネシア、スシランカ、ミャンマー、シンガポール等から20名ほど、保健医療福祉政策の行政官が中心である。

      私も、講義をひとつ担当させていただいた。依頼された講義タイトルは、「地域包括ケアシステムのための人材育成」。さて、何を話したらよいのか。最近、新聞で、タイの介護問題の記事を読んだ。経済発展が急速にすすみ、はたらき手世代が都市部に移り、農村部で高齢者を支える人がいない。家族介護があたり前とされているが、家族もはたらきに出て、高齢者を日中に見守る人がない。参加者それぞれのお国事情はあろうが、こうした状況は共通のようだ。そして、高齢者の医療や介護の公的な体制づくりも、ケアを担う専門的な職業の整備もこれからの段階。

      日本の医療や介護の専門職の話だけでは、参加者のおかれた状況にはそぐわない気がした。そのとき思いついたのが、未来かなえ機構の介護力強化事業である。機構では、「地域を寺子屋とし、共に学び共に支え合う、活力みなぎる住民力を育てる」という理念をかかげ、地域住民も介護や医療を支える人材(人財)としていたではないか。これも講義にいれよう!

      未来かなえ機構の事例紹介はスライドにしてわずか1枚。だが、参加者のくいつきは、意外なほどよかった。講義後に1時間ほど時間をとり、各国でこれから人材育成にどう取り組んでいくか、話し合ってもらった。すると、いろいろなアイディアが出される。
      「専門家と地域が協力しあう母子保健のとりくみはあるから、それを高齢者ケアにもいかせないか」「住民自身が力をつける、そのための情報共有や学びの機会づくりを」「若者が関心をもってかかわれるような工夫を」などなど。おおっ・・・介護力強化事業で議論されてきたことや、これから活かせたらよさそうなことが、次々と出てくる。東南アジアと「けせん」、目指すところは案外、共通しているのだと実感した時間であった。

      かくして、介護力強化は、東南アジアの高齢化政策の柱になるだろうか?それは大げさに過ぎるかもしれないけれど、国際的なメッセージ性を大いにもっている取組であることは間違いなさそうである。事業の展開がますます楽しみになった。

      画像の説明

      次回のコラム、バトンを内出理事に渡します!

  • 読み 書き そろばん + 介護 東京大学特任教授 秋山 弘子
    • 読み 書き そろばん + 介護 東京大学特任教授 秋山 弘子

      最近、高齢社会をテーマとする国際会議の参加国をみると、人口の高齢化がまさに
      グローバルな現象となったことを実感する。
      以前は感染症による死亡が多かった開発途上国でも心疾患や脳血管疾患など
      生活習慣病が死亡原因リストの上位に浮上してきたことは、人口の高齢化を意味する。
      先進諸国では一様に高齢者人口の高齢化が進み、75歳以上の人口が増加しているために、
      虚弱や認知症で日常生活に支援の必要な要介護者の急増が予測されている。
      すでに先進国では介護の担い手が慢性的に不足しており、外国人労働者に頼っている国が多い。
      ロンドンの高齢者のケアにチェコの介護士があたり、チェコの高齢者をブルガリアから
      来た人たちがケアする。しかし、ブルガリアも高齢化している。地球まるごと高齢化する
      今世紀、介護の担い手不足を外国人労働者に依存することでは究極的な解決にはならない。
      多くの高齢者は持病や障害があっても住み慣れた自分のうちで暮したい、そして、
      できれば自分のうちからあの世に旅立ちたいと願っている。
      国もそれを支援する方策をこうじている。介護士の養成、介護を受ける人を手助けする
      自立支援器具や介護者の負担を軽減する機器の開発も盛んに行われている。
      しかし、そうした努力をスピードアップしても押し寄せる高齢化の高波にはとても
      立ち向かえそうにない。また、大規模災害の時には自治体や民間のサービスは間に合わないし、
      ほとんどの機器は役に立たない。一番頼りになるのは家族と近隣の人たち。
      コミュニティに介護力をつけるのが最善の方策である。
      必要となれば住民だれでも介護ができるコミュニティであれば安心して暮せる。
      義務教育でみんなが行く中学校で介護の基本的な知識と技術を学べるとよい。
      社会で一人前に生きていくために身につけておかなければならない能力は
      「読み、書き、そろばん」
      と言われてきた。21世紀に生きる必須能力はそれに加えて「介護」、みんなで支えあい笑顔の
      こぼれる長寿社会の実現を願っている。

      次は岩手県立大船渡病院の伊藤達郎院長にリレーエッセイのバトンをお渡しします。

  • ロードバイクで周る気仙 代表理事 滝田 有
    • ロードバイクで周る気仙 代表理事 滝田 有

      10年以上前の初冬の時分、突然ロードバイクに目覚めた。
      最近は街なかで頻繁に見かけるが、カーボンフレームで細いタイヤを駆り、
      派手なジャージとヘルメットを身に纏って乗るアレだ。
      異常と思われそうな高価格を支払う、元々はレース用のスポーツ自転車である。
      アシスト役のモーターは付いていないが、私のようなポンコツ人力エンジンでも
      登り坂で血気盛んな高校生を抜き去ることは容易である。
      片手で持ち上げられる位の6~7キロの軽さのなせる業だ。

      山あり谷あり海あり浜ありの気仙はロードバイクに最適だった。
      早朝や昼休みを利用して20~30キロの距離を駆け抜けた。
      通岡のきつい登りを補ってあまりある下りに飛び込む広田湾の眺望。
      小友米崎間の堤防沿いに走れば漂う潮の香。
      並走するクルマと競い合う45号線の松原近く。
      つづら折りの山道を抜けた先に広がる桃源郷のような生出など、
      今でも目に浮かび、香りが漂う。

      クルマの移動では見逃し聞き逃してしまう

      気仙の素晴らしさが、五感を研ぎ澄ましたロードバイクの走りではよくわかるのだ。

      3.11大津波はそんな海、浜を根こそぎ持って行ってしまった。
      山へ行く道路もダンプカーやトラックが満ち溢れ、怖くて走れない。
      昨年あたりから、他県の別な街で新しいロードバイクを乗り始めたが、
      気仙を走る多様な爽快さには到底及ばない。

      やる気になればロードバイクでグルっと周れる気仙。
      決して広大とは言えない範囲にさまざまな風物がぎっしり詰まっている。
      このコンパクトな多様性が魅力なのだ。
      それを生かしてオリジナルなものを作る。
      まさしく「未来かなえ」の妙味である。

      *続いて東大の秋山先生、国立保健医療科学院の森川先生のお二人にリレーエッセィの
      バトンをお渡しする。

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